文楽の舞台になった造り酒屋です

妹背山婦女庭訓

文楽「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん):杉酒屋の段」の舞台になりました。
三輪山のふもとの杉酒屋の娘お三輪は、隣に住む烏帽子折の美男子園原求女に一目ぼれする。じつは求女こそ藤原淡海の世を忍ぶ仮の姿であった。だが求女には入鹿の妹橘姫という恋人がいた。求女は入鹿の館に潜入するため、姫の裾に赤糸をつけて跡を追う。お三輪も求女の裾に白糸をつけて追跡する、というお話です。
文楽で使用された酒道具は当蔵から提供しました。

※妹背山婦女庭訓とは:
近松半二を立作者とし、藤原鎌足淡海父子の蘇我入鹿誅伐を軸にした物語で大和地方を中心とした数々の伝説、習俗などが織り込まれている人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目の一つです。

国宝十一面観音の天蓋を寄贈しました

妹背山婦女庭訓

寛保2年(1742年)に第五代当主今西新右衛門が当時三輪山・大御輪寺の本尊であった国宝十一面観音に天蓋を寄贈しました。十一面観音は明治の廃仏毀釈により、現在は聖林寺に移管されています。
アメリカの哲学者フェノロサが明治23年に「この界隈にどれ程の素封家(金持ち)がいるか知らないが、この仏さま一体にとうてい及ぶものでない」と述べたことでも有名です。

天誅組を助け、明治28年奈良県から感謝状を頂きました

今西酒造油新別荘

幕末の大和は尊攘派一味「天誅組」の行動の舞台になっていました。そんな中、天誅組と当蔵との関わりが天誅組浪士半田門吉の筆になる「大和日記」に下記記述がされています。

(大和日記)
文久3年(1863年)、雨が降りしきる中、幕府に追い詰められた我々天誅組一行は疲労困憊の中、三輪山の麓にポツンと建つ人家を発見した。藁にもすがる思いで家主に今までの経緯を説明し、休憩場所・雨具を求めた。するとその家主は休憩場所を提供するだけでなく、飯を炊き、茶を煎じ、心温まるおもてなしをしてくれ、蘇生の思いをした。

この三輪山の麓にあった建物こそが、第八代当主今西新右衛門の別荘でした。

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