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お酒と三輪の歴史

酒造り発祥の地「三輪」
酒造りは三輪の地からはじまったといわれています。酒造りを話す上で欠かせない場所がここ三輪にある大神神社です。大神神社は日本最古の神社で、本殿を持たず、三輪山をご神体として奉っている神社です。
三輪山は古来から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれ、「うま酒みむろの山」と称されるは「みむろ・・実醪」すなわち「酒のもと」の意味で、酒の神様としての信仰からの呼び名であるとも言われています。
そのため毎年11月14日には大神神社に全国中から蔵元・杜氏が集まり「醸造祈願祭(酒まつり)」が行われます。境内では振舞酒も行われ、多くの参拝客・観光客でにぎわい、また醸造祈願祭の後には全国中の蔵元へ杉玉が配られていきます。

杜氏の神様「活日神社」(いくひじんじゃ)
なぜ三輪が酒造り発祥の地といわれるのか?それは日本書紀にこんな記述があるからです。
崇神天皇(実在する最古の天皇)時代、国は疫病の流行で混乱を極めていました。天皇はどうすれば良いのか・・・と悩み苦しみ眠っている時、夢で大物主大神様からお告げがありました。「私の祖先である大田田根子(おおたたねこ)を祭主にし、酒を奉納しなさい」それを聞いた天皇は「高橋活日命(たかはしいくひのみこと」を呼び、一夜で酒造りを行い神酒を奉納しました。すると疫病は去り、国が富みはじめました。その時に高橋活日命が詠んだ詩がこちら「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久」(この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ)
このことより高橋活日命は杜氏の神様として大神神社の摂社「活日神社」にまつられました。まさに酒が国を救ったのです。

杉玉発祥の地「三輪」
酒蔵の軒先に吊るされている「杉玉」は大神神社から全国の酒蔵に届けられています。その証に杉玉の下に吊るされている札を見ると、全国どこの酒蔵でも「三輪明神・しるしの杉玉」と書かれています。ぜひ酒蔵にいかれた際はご覧下さい。尚、杉玉は「新酒が出来ましたの合図」です。新酒が出来た頃に「青々とした杉玉」が吊るされ、一年かけて徐々に茶色になっていきます。それが酒の熟成具合といわれています。

「酒、三輪、神」は深い関係
「三輪=ミワ」という呼び名は、酒と神事に深く関わりを持った読みがなと言えます。その一つに「神酒」が上げられます。古来は酒に酔っている状態が神様とシンクロしている状態であるといわれ、酒は神様と繋がる大切なものとされてきました。その神酒のことを現在では「ミキ」と読みますが、昔は「ミワ」と読まれていました。また、古来の人々は神様のことを「ミワ」と読んでいました。その証に「大神神社」の正式名称は「オオミワジンジャ」となっています。
「神酒=ミワ=神」となるように、「酒、三輪、神」は深い関係であることが伺えます。

三輪の枕詞は「うま酒」
万葉集で詠まれているように、三輪の枕詞は「うま酒」でした。
※枕言葉とは・・・その地を表す代表的な言葉。
一例として額田王の有名な詩を紹介します。
「うま酒三輪の山青丹よし奈良の山の山のまにい隠るまで道のくまいさかるまでに つばらにも見つつ行かむをしばしばも見さけむ山を心なく雲の隠さふべしや」(なつかしい三輪山よ。この山が奈良の山々の間に隠れてしまうまで、また行く道の曲がり角が幾つも幾つも後ろに積もり重なるまで、充分に眺めていきたい山であるものを、たびたび振り返っても見たい山であるものを、無情にもあんなに雲が隠してしまっていいものだろうか。)

今西酒造は酒造り発祥の地「三輪」に残る唯一の酒蔵
三輪には昔三軒の酒蔵がありましたが、現存している酒蔵は当蔵のみです。
当蔵では【三輪山は古来から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれている事】また、【三輪山は「杉」に神様が宿るとされている事】から350有余年「三諸杉(みむろすぎ)」という商標で酒造りを行っています。仕込み水には三輪山の伏流水、米は三輪産、と「三輪」に拘っています。

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